アート de 近代建築 vol.2
こんにちは、アートナビゲーターのあおいです。
2回目の本日は、東京・湯島エリアの近代建築を巡ります。
2回目の本日は、東京・湯島エリアの近代建築を巡ります。
旧岩崎邸庭園(休園日:12月29日~1月1日)
旧岩崎邸庭園では現在、洋館と山小屋風の撞球室(ビリヤード場)、和館を見学することができます。
三菱財閥の第3代社長・岩崎久彌の本邸として建てられたものですが、洋館は来客用の迎賓館として使い、久彌が書斎を使う以外は、日常生活はもっぱら和館で営まれていました。
現在放映中のテレビドラマ『謎解きはディナーのあとで』(フジテレビ)では、主役のお嬢様のお屋敷として外観が使われています。
こちらの洋館が建った明治29年(1896)当時は、天皇・皇室などは国民の模範となるべく率先して西洋式の生活を取り入れ、洋館で終日過ごされていましたが、一般庶民はもちろん、岩崎家などの大富豪でも普段は和風の生活をしていたそうです。
現代の私たちが見学すると、その豪華さに非日常性を感じますが、主の岩崎家の人々にとってさえも、そこは非日常であったと思うと、ちょっと親近感が沸くような・・・?
設計したのは、鹿鳴館を建てたことでも有名な英国人のジョサイア・コンドル。
彼はもともとは日本の建築家を育てるために明治政府に招聘されたお雇い外国人で、生徒には授業の際、単に知識を教えるのではなく、建築は芸術でもあるという理念を伝えました。
そんなコンドルが建てた岩崎邸は、重要文化財であり、芸術的な見所も満載です。
建物公開にあたって補助パイプが取り付けられましたが、もともとは柱の無い空中階段でした。
中でもハイライトは1階のホールです。少し天井が低くシンプルなデザインの玄関ホール(と言っても十分高く立派なのですが)を抜けると、高く広く、細かな装飾を施した双子の柱や大きな鏡と暖炉のあるホールへ。そして、3度視線が変わる三つ折れ階段。
空間の移動による低→高、狭→広、単純→複雑、視点の変化。こういった建築上の仕掛けは、見るだけでなく体感できるという点で、絵画芸術などと大きく異なるところであり、面白さでもあります。
暖炉の上の鏡はフランス製といわれ、ベランダのタイルはイギリス・ミントン社製と輸入品も多いのですが、その一方で、日本の伝統工芸の技が生きた内装も多く見られます。
例えば、1階婦人客室の天井は一面、日本刺繍で彩られ、花と鳥が舞っています。
また、2階客室の鮮やかな壁紙(金唐革紙)は洋風でありながら、純日本製です。江戸時代にオランダから入ってきた高価な金唐革を日本の材料・技術で代用できないかと考案されたのが金唐革紙でした。その美しさ・技術の高さはウィーン万博などによって諸外国にも伝わり、バッキンガム宮殿にも収められたそうです。

上左からベランダ、1階婦人客室、下は金唐革紙の壁紙

模様のついた和紙にワニスを塗った後、
彩色を施して出来上がり。
なお、岩崎邸では年に何回か金唐革紙のワークショップが開かれており、先日私も参加してきました。
工程としては、版木ロールに錫箔をはった和紙をあててハケで叩き、模様を写し取っていきます。なかなか力の要る作業でしたが、だんだん模様が立体的になっていき、そっとはがした一瞬は感激でした。リピーターも多い、おすすめのワークショップです。
銀杏の生菓子の上には洋館の塔屋が白であしらってあり、
ちょっとした遊び心で楽しませてくれます。
和館には喫茶室が設けられており、こちらでは抹茶や白玉のぜんざいや、岩崎家と縁のある小岩井農場のチーズケーキセットなどを頂くことができます。
上生菓子つきのお抹茶セット(500円)を頼んでみました。生菓子はその季節によって形が違いますが、この日私が頂いたは、銀杏の葉を象ったもの。洋館前にも樹齢400年を超える銀杏の木があります。12月初旬には、玄関にはめ込まれたステンドグラスに紅葉した黄金色の光が差し込み、内側から眺めると、とても美しいです。
訪れた日はちょうど生花展が開催されており、廊下に生けられた花を見ながら一服し、ほっこりとしたひと時でした。
横山大観記念館
(休館日:月曜~水曜日 ※梅雨・夏季・冬季には長期休館あり)
旧岩崎邸・和館の大広間には東京美術学校の創設に尽力した橋本雅邦による富士の絵が描かれていますが、横山大観はその東京美術学校の第一期生にあたります。
現在記念館となっているこの地に、大観は明治42年(1909)移り住みます。今の建物は戦災後、昭和29年(1954)に再建されたものですが、再建時も2階を画室とし、ここで数々の名作が生み出されました。
画室には、懇意の表具師や朝日新聞の美術部長など、ごく限られた人を除いては決して通さなかったそうですが、そんな部屋も今では誰でも見学することができ、展示品は季節ごとにテーマが変わります。訪れた日は重要文化財である《生々流転》の習作などを見ることができました。
当時大観を訪れた知識人には、夏目漱石、
幸田露伴、美濃部達吉などがいます。
1階の客間には小説家、弁護士、学者と、画家とは違った分野の人たちも多く訪れています。大観は「年齢や学歴は関係ない。自ら学んだ人こそ素晴らしい」という考えを、終生貫きました。
人の好き嫌いはなかなかハッキリした人だったようですが、一度認めた相手は年下でも対等につきあい、同い年の人でも自分より優れていると思えば、先生と呼び、教えを請いました。
動物好きの大観は、明治43年(1908)に中国へ行った際、なんとロバを買って帰り、東京で乗り回していたそうです。
しかし、現実的には自宅でロバを飼えば臭うし、いななくしで大変でした。いっしょにロバを買った寺崎広業はいち早く上野動物園に寄贈しましたが、大観のほうは貰い手がなく困っていたところ、上野精養軒で引き取ってくれることになりました。
それはありがたいと喜んだ大観は、大きな熨斗を作り、ロバの背中にしょわせて手紙を添えました。
『このロバは3歳に候。名は「万里の長城」の長城と申します。お歳暮の代わりにロバ一頭、献上つかまつり候』
こうしてロバは無事、貰われていきました。彼のユーモアある一面が伺えるエピソードです。
建物や庭は、もともと建築に興味を持っていた
大観の意向を反映したものとなっています。
見学がお昼時であれば、このまま精養軒へ向かい、大観の茶目っ気と熨斗のついたロバでも思い出しながら、名物のハヤシライスを食べるのも楽しそうです。
*****
プロフィール/学芸員の資格を持っている割に美術のこと、あんまり知らないかも・・・と、美術検定に挑戦。2008年に美術検定1級合格。興味は広範囲でアートといえる近代建築(明治~昭和初期の建物)にあり、ブログ「近代建築レストラン散歩」を作成。この秋から都内の西洋館にてボランティアガイドとしてデビューしました。
旧岩崎邸庭園では現在、洋館と山小屋風の撞球室(ビリヤード場)、和館を見学することができます。
三菱財閥の第3代社長・岩崎久彌の本邸として建てられたものですが、洋館は来客用の迎賓館として使い、久彌が書斎を使う以外は、日常生活はもっぱら和館で営まれていました。

こちらの洋館が建った明治29年(1896)当時は、天皇・皇室などは国民の模範となるべく率先して西洋式の生活を取り入れ、洋館で終日過ごされていましたが、一般庶民はもちろん、岩崎家などの大富豪でも普段は和風の生活をしていたそうです。
現代の私たちが見学すると、その豪華さに非日常性を感じますが、主の岩崎家の人々にとってさえも、そこは非日常であったと思うと、ちょっと親近感が沸くような・・・?
設計したのは、鹿鳴館を建てたことでも有名な英国人のジョサイア・コンドル。
彼はもともとは日本の建築家を育てるために明治政府に招聘されたお雇い外国人で、生徒には授業の際、単に知識を教えるのではなく、建築は芸術でもあるという理念を伝えました。
そんなコンドルが建てた岩崎邸は、重要文化財であり、芸術的な見所も満載です。

中でもハイライトは1階のホールです。少し天井が低くシンプルなデザインの玄関ホール(と言っても十分高く立派なのですが)を抜けると、高く広く、細かな装飾を施した双子の柱や大きな鏡と暖炉のあるホールへ。そして、3度視線が変わる三つ折れ階段。
空間の移動による低→高、狭→広、単純→複雑、視点の変化。こういった建築上の仕掛けは、見るだけでなく体感できるという点で、絵画芸術などと大きく異なるところであり、面白さでもあります。
暖炉の上の鏡はフランス製といわれ、ベランダのタイルはイギリス・ミントン社製と輸入品も多いのですが、その一方で、日本の伝統工芸の技が生きた内装も多く見られます。
例えば、1階婦人客室の天井は一面、日本刺繍で彩られ、花と鳥が舞っています。
また、2階客室の鮮やかな壁紙(金唐革紙)は洋風でありながら、純日本製です。江戸時代にオランダから入ってきた高価な金唐革を日本の材料・技術で代用できないかと考案されたのが金唐革紙でした。その美しさ・技術の高さはウィーン万博などによって諸外国にも伝わり、バッキンガム宮殿にも収められたそうです。


上左からベランダ、1階婦人客室、下は金唐革紙の壁紙


彩色を施して出来上がり。
なお、岩崎邸では年に何回か金唐革紙のワークショップが開かれており、先日私も参加してきました。
工程としては、版木ロールに錫箔をはった和紙をあててハケで叩き、模様を写し取っていきます。なかなか力の要る作業でしたが、だんだん模様が立体的になっていき、そっとはがした一瞬は感激でした。リピーターも多い、おすすめのワークショップです。

ちょっとした遊び心で楽しませてくれます。
和館には喫茶室が設けられており、こちらでは抹茶や白玉のぜんざいや、岩崎家と縁のある小岩井農場のチーズケーキセットなどを頂くことができます。
上生菓子つきのお抹茶セット(500円)を頼んでみました。生菓子はその季節によって形が違いますが、この日私が頂いたは、銀杏の葉を象ったもの。洋館前にも樹齢400年を超える銀杏の木があります。12月初旬には、玄関にはめ込まれたステンドグラスに紅葉した黄金色の光が差し込み、内側から眺めると、とても美しいです。
訪れた日はちょうど生花展が開催されており、廊下に生けられた花を見ながら一服し、ほっこりとしたひと時でした。
横山大観記念館
(休館日:月曜~水曜日 ※梅雨・夏季・冬季には長期休館あり)
旧岩崎邸・和館の大広間には東京美術学校の創設に尽力した橋本雅邦による富士の絵が描かれていますが、横山大観はその東京美術学校の第一期生にあたります。
現在記念館となっているこの地に、大観は明治42年(1909)移り住みます。今の建物は戦災後、昭和29年(1954)に再建されたものですが、再建時も2階を画室とし、ここで数々の名作が生み出されました。
画室には、懇意の表具師や朝日新聞の美術部長など、ごく限られた人を除いては決して通さなかったそうですが、そんな部屋も今では誰でも見学することができ、展示品は季節ごとにテーマが変わります。訪れた日は重要文化財である《生々流転》の習作などを見ることができました。

幸田露伴、美濃部達吉などがいます。
1階の客間には小説家、弁護士、学者と、画家とは違った分野の人たちも多く訪れています。大観は「年齢や学歴は関係ない。自ら学んだ人こそ素晴らしい」という考えを、終生貫きました。
人の好き嫌いはなかなかハッキリした人だったようですが、一度認めた相手は年下でも対等につきあい、同い年の人でも自分より優れていると思えば、先生と呼び、教えを請いました。
動物好きの大観は、明治43年(1908)に中国へ行った際、なんとロバを買って帰り、東京で乗り回していたそうです。
しかし、現実的には自宅でロバを飼えば臭うし、いななくしで大変でした。いっしょにロバを買った寺崎広業はいち早く上野動物園に寄贈しましたが、大観のほうは貰い手がなく困っていたところ、上野精養軒で引き取ってくれることになりました。
それはありがたいと喜んだ大観は、大きな熨斗を作り、ロバの背中にしょわせて手紙を添えました。
『このロバは3歳に候。名は「万里の長城」の長城と申します。お歳暮の代わりにロバ一頭、献上つかまつり候』
こうしてロバは無事、貰われていきました。彼のユーモアある一面が伺えるエピソードです。

大観の意向を反映したものとなっています。
見学がお昼時であれば、このまま精養軒へ向かい、大観の茶目っ気と熨斗のついたロバでも思い出しながら、名物のハヤシライスを食べるのも楽しそうです。
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