アートナビゲーターによる高校国語講座「美術史で読み解く評論文」
こんにちは。「美術検定」事務局です。
今回は、神奈川県の高校で教壇に立つアートナビゲーター・松長さんが開講された、国語の夏期講座「美術史で読み解く評論文」をレポートします。
今回は、神奈川県の高校で教壇に立つアートナビゲーター・松長さんが開講された、国語の夏期講座「美術史で読み解く評論文」をレポートします。
京浜急行線「神武寺」駅から徒歩10分程の場所にある神奈川県立逗子高等学校。夏休みが始まった直後の猛暑日にもかかわらず、15名が図書館に集まった。2日間にわたって行なわれたこの夏期講座「美術史で読み解く評論文」は、どの学年でも希望すれば受講できるオープン講座だ。美術史を題材にしているが、科目はあくまでも国語である。今回は、1年生から3年生までの生徒12名とPTA役員でもある保護者2名が参加していた。
講座は、「美術史を読み解くことは、自分の世界を広げるだけでなく、芸術に触れることで人間の内面が見えてくることにつながります」と言う松長先生による、「美術史から学べることは何か」という解説から始まった。スクリーンには、ラスコーやアルタミラの洞窟壁画などの先史時代の美術から、中世絵画、ルネサンス、フランドル絵画、印象主義の作品、アール・ヌーヴォーといった20世紀美術までの作品が次々と現れる。時には当時の日本美術も比較しつつ、駆け足で西洋美術史の変遷が辿られた。かつては宗教的表現として制作されていた美術が、時代を経て生活の中の一部になっていったことや、芸術家の立場も時代と共に変化していったことなど、美術からみる歴史の潮流を、「その時代時代でさまざまなことが起こり、変化を重ねて今の世界が成り立っている。美術を通してそのことが分かります」と松長先生は説明した。また、『これからの「正義」の話をしようーいまを生き延びるための哲学』(早川書房、2010年)の著者で知られるハーバード白熱教室のマイケル・サンデル教授の日本での講義に参加し、サンデル教授の質問に答えた体験談や、宇宙物理学の村上斉教授の講義を聴いて知り得た知識などを例に挙げ、知識を得ることで自分の考えを持ち、専門家も含めて他者と話し合うことができるようになる、と続けた。

夏休みの図書室で講座は開催された 休憩時間には松長先生所有の画集や美術書も紹介
その後、参加者は配布されたワークシートに、先生の解説を振り返り、印象に残ったこと、またその印象に残ったことから起こる考えや疑問などを自分の言葉で書いていく。そして、二つのグループに分かれ、その振り返りを発表し、意見交換を行なった。
参加者全員が特に美術に興味があるわけではなく、芸術教科の科目では音楽を選択する「絵を描くのは苦手」「美術はきらい」という生徒もいた。しかし、内容を振り返り話し合っていくプロセスで、美術史を知ったことで「これからの美術はどういう方向に行くのか、と思った」や、「美術史を学ぶことは、単に美術だけを学んでいるのではなく、歴史やほかの文化を学ぶことでもある、とわかった」などと発言する生徒もいた。そして、皆一様に「知識が増えるのは楽しい」「知識が増えることで世界や想像力が大きくなる」と言っていたことが印象的だった。美術や国語の「教科」といった小さな世界ではなく、そこから広がるもっと大きな世界をとらえ始めたようだった。
松長先生は、「作家の逢坂剛さんの言葉に、“20歳までに得た知識は教養になるが、20歳を過ぎて得た知識は、ただの知識に過ぎない”というものがあります。20歳までに自分の知識の土台を広げておけば、その土台の上にまた知識が積み重なって行き、思わぬところでまた、こっちの知識とそっちの知識が結びつく、ということが頻繁に起こるようになるのです。学ぶって、そういうことなんですよ。知識を広げて行くと、一生わくわくできるんです。今は必要ないと思える知識も、数十年後にあぁ、こういうことだったのか……と思い当たる日が来るかもしれません。だからどんどん知識を培って、自分の世界を広げていってください」と、この日の講座を締めくくった。
講座の2日目は、国語の教科書に掲載されている高階秀爾の美術評論、『「間」の感覚』を読み解いたそうだ。「知識を得ることとは何か」を、美術史を通して学んだ参加者は、美術評論を読むことで、作品をみて感じたことを自分の言葉で伝えることについてまた考えることができただろう。
筆者自身、この「美術史で読み解く評論文」の講座を通し、美術はさまざまな世界とつながり、多くのことを読み解くことができるものだとあらためて認識できた。また、夏期講座だったからか、内容も美術という他教科からのアプローチだったせいか、生徒はリラックスしつつも高い関心を持って参加し、しばしば笑い声もあがる中、積極的に発言していた。美術史を通して知った広い視点を持つことへの気付きが、評論文を読み解く上でも必要になってくるという点で、参加者は国語の教科として大いに学べたのではないだろうか。それ以上に生徒たちは、知識を得ることで世界が広がり、それがいずれ自分の人生の糧になっていく可能性を発見した喜びを体感していたように思えた。
取材・執筆=高橋紀子(「美術検定」事務局)
講座は、「美術史を読み解くことは、自分の世界を広げるだけでなく、芸術に触れることで人間の内面が見えてくることにつながります」と言う松長先生による、「美術史から学べることは何か」という解説から始まった。スクリーンには、ラスコーやアルタミラの洞窟壁画などの先史時代の美術から、中世絵画、ルネサンス、フランドル絵画、印象主義の作品、アール・ヌーヴォーといった20世紀美術までの作品が次々と現れる。時には当時の日本美術も比較しつつ、駆け足で西洋美術史の変遷が辿られた。かつては宗教的表現として制作されていた美術が、時代を経て生活の中の一部になっていったことや、芸術家の立場も時代と共に変化していったことなど、美術からみる歴史の潮流を、「その時代時代でさまざまなことが起こり、変化を重ねて今の世界が成り立っている。美術を通してそのことが分かります」と松長先生は説明した。また、『これからの「正義」の話をしようーいまを生き延びるための哲学』(早川書房、2010年)の著者で知られるハーバード白熱教室のマイケル・サンデル教授の日本での講義に参加し、サンデル教授の質問に答えた体験談や、宇宙物理学の村上斉教授の講義を聴いて知り得た知識などを例に挙げ、知識を得ることで自分の考えを持ち、専門家も含めて他者と話し合うことができるようになる、と続けた。


夏休みの図書室で講座は開催された 休憩時間には松長先生所有の画集や美術書も紹介
その後、参加者は配布されたワークシートに、先生の解説を振り返り、印象に残ったこと、またその印象に残ったことから起こる考えや疑問などを自分の言葉で書いていく。そして、二つのグループに分かれ、その振り返りを発表し、意見交換を行なった。
参加者全員が特に美術に興味があるわけではなく、芸術教科の科目では音楽を選択する「絵を描くのは苦手」「美術はきらい」という生徒もいた。しかし、内容を振り返り話し合っていくプロセスで、美術史を知ったことで「これからの美術はどういう方向に行くのか、と思った」や、「美術史を学ぶことは、単に美術だけを学んでいるのではなく、歴史やほかの文化を学ぶことでもある、とわかった」などと発言する生徒もいた。そして、皆一様に「知識が増えるのは楽しい」「知識が増えることで世界や想像力が大きくなる」と言っていたことが印象的だった。美術や国語の「教科」といった小さな世界ではなく、そこから広がるもっと大きな世界をとらえ始めたようだった。
松長先生は、「作家の逢坂剛さんの言葉に、“20歳までに得た知識は教養になるが、20歳を過ぎて得た知識は、ただの知識に過ぎない”というものがあります。20歳までに自分の知識の土台を広げておけば、その土台の上にまた知識が積み重なって行き、思わぬところでまた、こっちの知識とそっちの知識が結びつく、ということが頻繁に起こるようになるのです。学ぶって、そういうことなんですよ。知識を広げて行くと、一生わくわくできるんです。今は必要ないと思える知識も、数十年後にあぁ、こういうことだったのか……と思い当たる日が来るかもしれません。だからどんどん知識を培って、自分の世界を広げていってください」と、この日の講座を締めくくった。
講座の2日目は、国語の教科書に掲載されている高階秀爾の美術評論、『「間」の感覚』を読み解いたそうだ。「知識を得ることとは何か」を、美術史を通して学んだ参加者は、美術評論を読むことで、作品をみて感じたことを自分の言葉で伝えることについてまた考えることができただろう。
筆者自身、この「美術史で読み解く評論文」の講座を通し、美術はさまざまな世界とつながり、多くのことを読み解くことができるものだとあらためて認識できた。また、夏期講座だったからか、内容も美術という他教科からのアプローチだったせいか、生徒はリラックスしつつも高い関心を持って参加し、しばしば笑い声もあがる中、積極的に発言していた。美術史を通して知った広い視点を持つことへの気付きが、評論文を読み解く上でも必要になってくるという点で、参加者は国語の教科として大いに学べたのではないだろうか。それ以上に生徒たちは、知識を得ることで世界が広がり、それがいずれ自分の人生の糧になっていく可能性を発見した喜びを体感していたように思えた。
取材・執筆=高橋紀子(「美術検定」事務局)
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