シンポジウム「ミュージアムの幸せ効果-美術鑑賞の可能性から考える」レポート
こんにちは。「美術検定」実行委員会事務局です。今回は11月2日にDNP五反田ビルで開催された、DNPミュージアムラボとフィンランド国立アテネウム美術館主催のシンポジウム「ミュージアムの幸せ効果-美術鑑賞の可能性から考える」をレポートします。
DNPミュージアムラボは、DNP大日本印刷(以下、DNP)の文化活動の一環として、フランスのルーヴル美術館、フランス国立図書館といった世界のミュージアムと連携し、マルチメディアシステムを使った鑑賞ツールの研究開発などを行なってきました。今回のシンポジウムは、2015年から2016年にかけて全国4か所で開催された、フィンランドを代表する画家「ヘレン・シャルフベック展」の作品鑑賞補助システムをDNPが開発し、そのシステムがフィンランド国立アテネウム美術館(以下、アテネウム)の常設展示室に設置されたことを通し、DNPミュージアムラボとアテネウムの連携記念のキックオフとして開催されました。
講演-フィンランドと日本における美術鑑賞の現状
講演は6名の登壇者で構成され、まず一人目として、アテネウムの館長であるスサンナ・ペッテルソンさんが、ヨーロッパの美術館の歴史を交えながら、美術館の機能やその活動の変化について講演しました。約4万点のコレクション作品を所蔵するアテネウムの、記憶の装置として文化遺産を収集、研究し展示するという従来の美術館としての機能から、1990年代以降の、利用者を意識した多様なサービスや来館者の志向を取り入れ、双方向に情報共有するといった機能への変化については、フィンランドの社会・経済・政治・文化をとりまく時代の変化が大きな影響をもたらしているようです。ペッテルソンさんは、従来の美術館としての専門的機能、作品の収集、研究、展示を軸として、最近のトレンド、例えば多様化した価値観やターゲット、デジタルの活用も視野に入れ、コレクション作品を活用したプログラムで来館者と積極的にコミュニケーションを計っていく、とアテネウムの今後の展望について語りました。「人間は芸術作品という独創性にあふれた真性なオブジェクトとの出会いを必要としている、美術館はその芸術作品と出会う場と機会の提供をすること、ここに美術館の未来がある」とも述べられていました。
二人目は、アテネウムのパブリックプログラム担当サトゥ・イトコネンさんが、現在アテネウムで行なわれているパブリックプログラムを紹介しつつ、美術館での学びについて講演しました。アテネウムでは、美術館をすべての年代を受け入れ他者の価値観を学べる、現代的な学習環境の場として位置づけ、ガイドツアーや対話型鑑賞、ワークショップなどのプログラムを企画運営しています。来館者の傾向は日本とそれほど変わりはなく、ガイドの話を聴くのが好きな人やテキストを読むのが好きな人、他の人と作品について議論するのが好きな人、自分で実践することが好きな人といるようです。また、様々な年代や多様な価値を持つ人々に美術館での学びをアプローチするため、オンライン上でコレクションを公開したり、デジタルコンテンツを展示室に設置したりと、作品をさらに学べるための情報や機会を提供しています。イトコネンさんは、美術館で一緒に体験できるといった一体感、オープンで自由な開放感、そして過去と人々を尊重した専門機関としてのプロ意識、この三つの価値を重視しながらパブリックプログラムを展開していきたい、とアテネウムの今後について語りました。
三人目以降は、いずれも日本からの報告となりました。岐阜県現代陶芸美術館学芸員の山口敦子さんは、美術館とコレクションについて、自館での活動事例を交えて報告されました。2002年にセラミックパークMINO内に開館した陶芸美術館は、世界各地の近現代の陶磁器をコレクションしており、企画展・常設展といった展覧会の他、現代作家や異業種の作家とコラボレーションした企画も行なっています。また、実際陶芸ができる作陶室や、茶会が行える茶室も併設されています。陶芸美術館の教育普及活動には、ギャラリーガイドや鑑賞カードの貸し出し、作陶体験や茶室利用などがあるそうですが、学芸員によるギャラリーガイドは、展示の意図や趣旨について来館者に直接伝える機会として認識しているようです。「鑑賞活動で得られたことを美術館づくりに活かしていきたい」と山口さんはおっしゃっていました。
慶應義塾大学准教授の川畑秀明さんからは、「美術鑑賞と脳の働き」について説明がありました。脳は、幸せになるために芸術作品に美を感じようとしますが、鑑賞した作品によって活動が活発になる脳の場所が違うそうです。事例として、風景画・静物画・肖像画の三つの絵画を鑑賞した時の脳のMRIが紹介されましたが、たしかにそれぞれの作品鑑賞後に活発になった脳の場所は異なっていました。脳は美を感じる時に、眼窩前頭皮質という前頭葉の下の部分の活動が高まり、その場所の活動を抑制すると美を感じにくくなります。また、幸福の神経活動を満たす階層として「五感→欲求の回路→嗜好の回路→幸福の回路」があり、価値体験が幸福の基礎を成しています。価値体験を決める美を感じる助けになるのはフレーム・文脈との関わりであり、例えばコンセプチュアル・アートのような作品は、展示場所というフレームや概念による美の文脈によって美術作品となるように、ものの見かたのフレームや文脈で美の感じ方は変化する、とのことでした。美術作品を鑑賞することは精神的健康によいが、「どのようにみるか」が重要になってくるそうです。
東北福祉大学准教授の大城泰造さんからは、福祉の現場で美術がどのように活かされているか、事例を用いての紹介がありました。大城さんは1996年より、認知症の方々における非薬物療法としての臨床美術の効果を研究されています。脳外科の医師、ファミリーアドバイザー、臨床美術士がチームとなった1回2時間のプログラムでは、認知症の方々が自ら作品を制作し、その後鑑賞会を行ないます。鑑賞会では作品の優劣をつけず、美術臨床士が作品のよいところを見つけ誉めていく作業が行なわれます。認知症は100あった能力が0に近づく病気で、自信が喪失していくことからも、正解を問わない美術作品を制作し、鑑賞会で誉められるという行為はとても重要、とのことでした。
最後に、DNPの田中美苗さんより、美術鑑賞におけるマルチメディアシステムの作用について報告がありました。DNPはこれまで、2006年からはルーヴル美術館と、2016年からはフランス国立図書館、そしてアテネウムと協働し、マルチメディアを使った鑑賞の技術開発を行なっています。これまで開発された鑑賞補助システムはどのように利用者に効果を与えているのか、その科学的検証の報告によると、鑑賞補助システムで情報を得る前と得た後では作品についての関心度が違い、システム利用後には関心度が上がったとのことでした。
パネルディスカッション-美術鑑賞の効果とコレクションの活用
講演終了後は、各パネラーによるパネルディスカッションが行なわれました。ここでは主に、美術鑑賞によって何が得られるか、また美術館コレクションの活用について話し合われました。美術鑑賞は、自己を反映し他者を含む何かと出会う機会であり、美術館はその美術作品をみる状況をつくること、という意見が上がりました。その一例として、アテネウムでも実践されているビジュアル・シンキング・ストラテジー=VTS(対話型美術鑑賞)は、言語により自己の内面を表現・反映でき、また他者と共有し共感性を促進できるという点で有効なプログラムだ、とイトコネンさんは自館での実践を紹介されました。
コレクションの活用については、ペッテルソンさんが、作品のストーリー作りを行いそのストーリーを語って共有し、アイコン化していくことの重要性をお話しされました。その話を受け、川畑さんからは、日本で印象派の作品が好かれているのは印象派の作家達の人生などストーリー性が強いからで、注目を与えたい作者の作品についてはストーリーを作って理解してもらうことも必要かもしれない、と補足がありました。そして山口さんが、企画展重視になりがちな日本の美術展の現状と、ストーリー性のあるコレクション作品をアドバンテージとして美術館を打ち出していくことの可能性について示唆しました。最後に、「コレクションを知ることは歴史を知ることにもつながります。私たちにコレクションへの熱意があれば、その熱意は来館者に伝わり、記憶に残る経験となっていきます。」とペッテルソンさんが力強く語られ、このシンポジウムを締めくくりました。

後半では登壇した6名によるパネルディスカッションが行なわれた。
写真=(C)Photo DNP
+++++
シンポジウムは、フィンランドの美術館の事例から国内の美術館の活動紹介、また美術鑑賞の作用における心理的、医学的アプローチやデジタルの活用など、その内容は多岐に渡りましたが、世界が急速にまたダイナミックに変動する現代社会の中で、美術館や美術鑑賞の本来の機能をあらためて確認する機会となりました。その中で、鑑賞者として私たちが担う役割もまた大きい、とも感じた3時間半でした。
取材・文=高橋紀子(「美術検定」実行委員会事務局)
講演-フィンランドと日本における美術鑑賞の現状
講演は6名の登壇者で構成され、まず一人目として、アテネウムの館長であるスサンナ・ペッテルソンさんが、ヨーロッパの美術館の歴史を交えながら、美術館の機能やその活動の変化について講演しました。約4万点のコレクション作品を所蔵するアテネウムの、記憶の装置として文化遺産を収集、研究し展示するという従来の美術館としての機能から、1990年代以降の、利用者を意識した多様なサービスや来館者の志向を取り入れ、双方向に情報共有するといった機能への変化については、フィンランドの社会・経済・政治・文化をとりまく時代の変化が大きな影響をもたらしているようです。ペッテルソンさんは、従来の美術館としての専門的機能、作品の収集、研究、展示を軸として、最近のトレンド、例えば多様化した価値観やターゲット、デジタルの活用も視野に入れ、コレクション作品を活用したプログラムで来館者と積極的にコミュニケーションを計っていく、とアテネウムの今後の展望について語りました。「人間は芸術作品という独創性にあふれた真性なオブジェクトとの出会いを必要としている、美術館はその芸術作品と出会う場と機会の提供をすること、ここに美術館の未来がある」とも述べられていました。
二人目は、アテネウムのパブリックプログラム担当サトゥ・イトコネンさんが、現在アテネウムで行なわれているパブリックプログラムを紹介しつつ、美術館での学びについて講演しました。アテネウムでは、美術館をすべての年代を受け入れ他者の価値観を学べる、現代的な学習環境の場として位置づけ、ガイドツアーや対話型鑑賞、ワークショップなどのプログラムを企画運営しています。来館者の傾向は日本とそれほど変わりはなく、ガイドの話を聴くのが好きな人やテキストを読むのが好きな人、他の人と作品について議論するのが好きな人、自分で実践することが好きな人といるようです。また、様々な年代や多様な価値を持つ人々に美術館での学びをアプローチするため、オンライン上でコレクションを公開したり、デジタルコンテンツを展示室に設置したりと、作品をさらに学べるための情報や機会を提供しています。イトコネンさんは、美術館で一緒に体験できるといった一体感、オープンで自由な開放感、そして過去と人々を尊重した専門機関としてのプロ意識、この三つの価値を重視しながらパブリックプログラムを展開していきたい、とアテネウムの今後について語りました。
三人目以降は、いずれも日本からの報告となりました。岐阜県現代陶芸美術館学芸員の山口敦子さんは、美術館とコレクションについて、自館での活動事例を交えて報告されました。2002年にセラミックパークMINO内に開館した陶芸美術館は、世界各地の近現代の陶磁器をコレクションしており、企画展・常設展といった展覧会の他、現代作家や異業種の作家とコラボレーションした企画も行なっています。また、実際陶芸ができる作陶室や、茶会が行える茶室も併設されています。陶芸美術館の教育普及活動には、ギャラリーガイドや鑑賞カードの貸し出し、作陶体験や茶室利用などがあるそうですが、学芸員によるギャラリーガイドは、展示の意図や趣旨について来館者に直接伝える機会として認識しているようです。「鑑賞活動で得られたことを美術館づくりに活かしていきたい」と山口さんはおっしゃっていました。
慶應義塾大学准教授の川畑秀明さんからは、「美術鑑賞と脳の働き」について説明がありました。脳は、幸せになるために芸術作品に美を感じようとしますが、鑑賞した作品によって活動が活発になる脳の場所が違うそうです。事例として、風景画・静物画・肖像画の三つの絵画を鑑賞した時の脳のMRIが紹介されましたが、たしかにそれぞれの作品鑑賞後に活発になった脳の場所は異なっていました。脳は美を感じる時に、眼窩前頭皮質という前頭葉の下の部分の活動が高まり、その場所の活動を抑制すると美を感じにくくなります。また、幸福の神経活動を満たす階層として「五感→欲求の回路→嗜好の回路→幸福の回路」があり、価値体験が幸福の基礎を成しています。価値体験を決める美を感じる助けになるのはフレーム・文脈との関わりであり、例えばコンセプチュアル・アートのような作品は、展示場所というフレームや概念による美の文脈によって美術作品となるように、ものの見かたのフレームや文脈で美の感じ方は変化する、とのことでした。美術作品を鑑賞することは精神的健康によいが、「どのようにみるか」が重要になってくるそうです。
東北福祉大学准教授の大城泰造さんからは、福祉の現場で美術がどのように活かされているか、事例を用いての紹介がありました。大城さんは1996年より、認知症の方々における非薬物療法としての臨床美術の効果を研究されています。脳外科の医師、ファミリーアドバイザー、臨床美術士がチームとなった1回2時間のプログラムでは、認知症の方々が自ら作品を制作し、その後鑑賞会を行ないます。鑑賞会では作品の優劣をつけず、美術臨床士が作品のよいところを見つけ誉めていく作業が行なわれます。認知症は100あった能力が0に近づく病気で、自信が喪失していくことからも、正解を問わない美術作品を制作し、鑑賞会で誉められるという行為はとても重要、とのことでした。
最後に、DNPの田中美苗さんより、美術鑑賞におけるマルチメディアシステムの作用について報告がありました。DNPはこれまで、2006年からはルーヴル美術館と、2016年からはフランス国立図書館、そしてアテネウムと協働し、マルチメディアを使った鑑賞の技術開発を行なっています。これまで開発された鑑賞補助システムはどのように利用者に効果を与えているのか、その科学的検証の報告によると、鑑賞補助システムで情報を得る前と得た後では作品についての関心度が違い、システム利用後には関心度が上がったとのことでした。
パネルディスカッション-美術鑑賞の効果とコレクションの活用
講演終了後は、各パネラーによるパネルディスカッションが行なわれました。ここでは主に、美術鑑賞によって何が得られるか、また美術館コレクションの活用について話し合われました。美術鑑賞は、自己を反映し他者を含む何かと出会う機会であり、美術館はその美術作品をみる状況をつくること、という意見が上がりました。その一例として、アテネウムでも実践されているビジュアル・シンキング・ストラテジー=VTS(対話型美術鑑賞)は、言語により自己の内面を表現・反映でき、また他者と共有し共感性を促進できるという点で有効なプログラムだ、とイトコネンさんは自館での実践を紹介されました。
コレクションの活用については、ペッテルソンさんが、作品のストーリー作りを行いそのストーリーを語って共有し、アイコン化していくことの重要性をお話しされました。その話を受け、川畑さんからは、日本で印象派の作品が好かれているのは印象派の作家達の人生などストーリー性が強いからで、注目を与えたい作者の作品についてはストーリーを作って理解してもらうことも必要かもしれない、と補足がありました。そして山口さんが、企画展重視になりがちな日本の美術展の現状と、ストーリー性のあるコレクション作品をアドバンテージとして美術館を打ち出していくことの可能性について示唆しました。最後に、「コレクションを知ることは歴史を知ることにもつながります。私たちにコレクションへの熱意があれば、その熱意は来館者に伝わり、記憶に残る経験となっていきます。」とペッテルソンさんが力強く語られ、このシンポジウムを締めくくりました。

後半では登壇した6名によるパネルディスカッションが行なわれた。
写真=(C)Photo DNP
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シンポジウムは、フィンランドの美術館の事例から国内の美術館の活動紹介、また美術鑑賞の作用における心理的、医学的アプローチやデジタルの活用など、その内容は多岐に渡りましたが、世界が急速にまたダイナミックに変動する現代社会の中で、美術館や美術鑑賞の本来の機能をあらためて確認する機会となりました。その中で、鑑賞者として私たちが担う役割もまた大きい、とも感じた3時間半でした。
取材・文=高橋紀子(「美術検定」実行委員会事務局)
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