アートナビゲーター・美術館コレクションレポート「福島県立美術館」
福島市在住のアートナビゲーター、貝沼幹夫です。今回は、私の地元にある福島県立美術館をご紹介いたします。
福島県立美術館には「福島県立美術館友の会」というボランティア組織があり、私も2003年の会の創設以来、役員(現在副会長)として参加しております。美術館イベントへの参加、企画展等の鑑賞講座、研修旅行など多様な活動を行っております。アートナビゲーターの資格を取得したのも、こうした活動をより良くするためのバックグラウンドをしっかり持ちたいということからでした。
福島県立美術館は、福島市のシンボルであり、憩いの場として親しまれている信夫山のふもとにあります。市街地に近い場所にありながら、自然の緑に囲まれた静かで落ち着いた環境にあります。広い敷地には日本庭園もあり、散策や休憩の場として親しまれています。
福島県立美術館は1984年にオープンしました。当時は地方の文化行政が叫ばれていた時期で、地域の大きな期待を受けて立派な美術館が誕生しました。元々この敷地には福島大学がありましたが、郊外に移転したため、大きな跡地を利用して美術館と隣接する図書館が建てられました。ちなみに私は福島大学のOBで、学生時代に趣味として美術サークルに属しており、当時ここにあった古い木造校舎の一角で下手な油絵を描いていましたので、今も同じ場所で美術に関わりあっているのを奇縁に感じております。

レンガの蔵造りの外観が印象的な福島県立美術館全景とエントランス
美術館の建物は、どっしりとした安定感のあるレンガの蔵造りの外観です。最近の美術館が外光を取り入れた明るいモダンな建物が多いのに比べて、やや古風に感じますが、これはこれでレトロな落ち着いた雰囲気のある趣のある建物です。入り口を抜けると大きなエントランスホールがあります。この吹き抜けの空間は、教会の内部のように荘厳で美術鑑賞の期待を膨らませてくれます。また、音響効果もよく、ここで催されるミュージアムコンサートは人気があります。1階は企画展示室で2階が常設展示室となっています。

エントランスホールではコンサートも行なわれる
さて、本題の美術館のコレクションをご紹介します。福島県立美術館では、絵画、版画、彫刻、工芸など3,800点以上の美術品を収蔵しています。今回は、これらの収蔵品のうち、私の自薦による福島県立美術館で鑑賞すべき3人の画家の作品に焦点を当ててご紹介します。

常設展示室では、展示替をしながら随時収蔵品が紹介されている
まずは、アンドリュー・ワイエスからご紹介します。
ワイエスは、アメリカ中西部の田舎に生きる人々を静謐な写実表現で詩情豊かに描いた画家として知られています。彼の代表作のひとつでもあり、福島県立美術館のコレクションの目玉でもあるのがの《松ぼっくり男爵》(1978年)です。小道の脇の松並木の根元は松の落ち葉で覆われ、その上に松ぼっくりが入ったヘルメットがひとつ置かれているだけの絵ですが、研ぎ澄まされた写実描写は見るものに何かを暗示するようで強く引こまれるのを禁じえません。ヘルメットは第一次世界大戦の時にドイツ軍兵士であつた隣人の持ち物で、道端に置き去りにされた一瞬の情景を、隣人の息づかいと物語を込めてワイエスは描いたそうです。
ワイエスは、生涯に何人かの女性をモデルとした絵の連作があります。中でも、一人の女性が草原の中を這いながら進もうとしている、ニューヨーク近代美術館所蔵の《クリスティーナの世界》は有名ですが、そのクリスティーナが亡くなった後に入れ替わるようにワイエスの前に現れたのがシリ・エリクソンという若い女性で、彼女をモデルとした《そよ風》(1978年)という絵が福島県立美術館にあります。薄暗い何もない部屋の中で一陣のそよ風にブロンドをたなびかせてたたずむシリの若々しさに、新たなものの再生をワイエスは感じ取ったと言われています。
二番目は、ベン・シャーンです。
シャーンは、リトアニア生まれのアメリカの画家です。ユダヤ系リトアニア人で、子供のとき家族とともに迫害を逃れてニューヨークに移住し、貧しいなか石版画工として働きながら絵を勉強しました。《ドレフュス事件》などの冤罪事件をテーマにした作品で、社会派の画家として知られています。
福島県立美術館には、アメリカの水爆実験で被曝した第五福竜丸を取り上げた《ラッキードラゴン》(1960年)があります。描かれている人物は髪が抜け落ち赤黒い肌をした一人の船員で、被曝から半年後に亡くなりました。科学文明の犠牲者ともいえる無残な姿は、痛々しく見る者のこころに伝わります。ご存知のように、福島では2011年3月の東日本大震災と原発事故で深刻な状況になりましたが、放射能の恐怖を伝えるシャーンの絵が奇しくも福島にあったことに何か深い因縁があったのかもしれない、と多くの人が感じました。
シャーンは多くの絵画とともに優れた版画やポスターを残し、グラフィック・アーティストとしても活躍しました。そのうちの一つで私が好きなのが、《一篇の詩の最初の言葉》(1968年)というタイトルがついたリトグラフの小品です。ドイツの詩人リルケの「マルテの手記」から想を得た版画集からの1点で、ペンを握るシンプルな手だけをこれ以上そぎ落とせないようなモノクロの線のみで描かれていますが、シャーンの深いメッセージが込められていると感じています。
三番目は、斎藤清です。
斎藤清は、福島県の会津に生まれた版画家です。幼い頃、一家で北海道に移住し看板店を営むようになりますが、絵画への情熱が断ち切れず上京し本格的に絵を学びました。その後版画制作で活躍し、国際的に評価されるようになりました。《凝視(花)》(1950年)はサンパウロ・ビエンナーレ展で受賞し、日本人芸術家として海外に知られるきっかけとなりました。斎藤清は、洗練された構図と対象から本質を取り出す優れたデザイン感覚に優れていますが、この版画でも女性の横顔と正面向きの瞳に花瓶の花が重ねられ、大胆な構成と装飾性に溢れています。
斎藤清はこうした作風の版画の一方、ふるさと会津の冬景色を描いた「会津の冬シリーズ」があります。80歳で会津柳津に移り住み、この地で90歳まで生き、全部で115点にもおよぶ「会津の冬」を描き上げました。《会津の冬(51)》はこのうちの1点です。一切が雪に埋もれた会津の風景を、簡潔な構図と整理された線で描いています。洗練されたデザイン感覚と故郷会津への愛着が昇華した、余情深い作品だと感じます。福島県立美術館には、斎藤清のコレクションが500点もあります。2017年は生誕110年と没後20年記念の特別展が開催され、彼の代表作を通観すると共に、この会津の冬シリーズ全115点がまとめて展示され、改めて斎藤清が福島県を代表する画家であることを認識しました。
この3人の画家の作品の他にも、福島県立美術館には多くの名画があります。海外作品では、ピサロ《エラニーの菜園》、モネ《ジヴェルニーの草原》など、日本の作品では岸田劉生《静物》、安井曾太郎《ターブルの上》や郷土の画家の関根正二や酒井三良などの絵です。これらの名画が、年数回入れ替えの常設展で展示されています。
美術をテーマとした小説を多く著している作家の原田マハさんは、ある冊子で「いつか行きたいミュージアム」の一つとして福島県立美術館を紹介しています。そして特に、春に訪れることを薦めています。「美術館を囲むように桜が咲き、ロビーからの眺めも印象的。長い冬を終え一斉に花開く桜の美しさは、東北の底力を象徴しているようにも感じます」と話しています。

春には福島市郊外の花見山で桜も楽しめる
桜といえば、福島市には「花見山」という花の名所もあります。写真家の秋山庄太郎が「福島に桃源郷あり」と称え、全国的に知られるようになったところです。春には色とりどりの花が咲き乱れ、筆舌に尽くしがたい美しさです。是非皆様この春に福島にお出かけいただき、福島県立美術館の美術鑑賞と共に、福島の春をお楽しみいただければと思います。
■福島県立美術館
〒960-8003 福島県福島市森合字西養山1
開館時間 9:30~17:00(最終入館は16:30まで)
休館日 月曜日(月曜祝日の場合その翌日)、年末年始
常設展観覧料金 270円(高校生以下は無料)
Tel: 024-531-5511 Fax.024-531-0447
https://art-museum.fcs.ed.jp
プロフィール/美術検定は2010年に3級から受験を始めて、2012年に1級を取得しました。若い時から絵が好きで描いたりもしていましたが、年とともに名画鑑賞の方に魅かれるようになりました。特に海外旅行で欧米の美術館を訪れるようになってからは、美術史が大好きになりました。最近は英語通訳案内士の資格も取得し、外国人旅行者に美術館を紹介するようなことに興味を持っています。美術館をアートだけに限らず、広く観光とつなげることをもっとポジティヴに考えた方が良いのではないかと思っています。
福島県立美術館は、福島市のシンボルであり、憩いの場として親しまれている信夫山のふもとにあります。市街地に近い場所にありながら、自然の緑に囲まれた静かで落ち着いた環境にあります。広い敷地には日本庭園もあり、散策や休憩の場として親しまれています。
福島県立美術館は1984年にオープンしました。当時は地方の文化行政が叫ばれていた時期で、地域の大きな期待を受けて立派な美術館が誕生しました。元々この敷地には福島大学がありましたが、郊外に移転したため、大きな跡地を利用して美術館と隣接する図書館が建てられました。ちなみに私は福島大学のOBで、学生時代に趣味として美術サークルに属しており、当時ここにあった古い木造校舎の一角で下手な油絵を描いていましたので、今も同じ場所で美術に関わりあっているのを奇縁に感じております。


レンガの蔵造りの外観が印象的な福島県立美術館全景とエントランス
美術館の建物は、どっしりとした安定感のあるレンガの蔵造りの外観です。最近の美術館が外光を取り入れた明るいモダンな建物が多いのに比べて、やや古風に感じますが、これはこれでレトロな落ち着いた雰囲気のある趣のある建物です。入り口を抜けると大きなエントランスホールがあります。この吹き抜けの空間は、教会の内部のように荘厳で美術鑑賞の期待を膨らませてくれます。また、音響効果もよく、ここで催されるミュージアムコンサートは人気があります。1階は企画展示室で2階が常設展示室となっています。


エントランスホールではコンサートも行なわれる
さて、本題の美術館のコレクションをご紹介します。福島県立美術館では、絵画、版画、彫刻、工芸など3,800点以上の美術品を収蔵しています。今回は、これらの収蔵品のうち、私の自薦による福島県立美術館で鑑賞すべき3人の画家の作品に焦点を当ててご紹介します。

常設展示室では、展示替をしながら随時収蔵品が紹介されている
まずは、アンドリュー・ワイエスからご紹介します。
ワイエスは、アメリカ中西部の田舎に生きる人々を静謐な写実表現で詩情豊かに描いた画家として知られています。彼の代表作のひとつでもあり、福島県立美術館のコレクションの目玉でもあるのがの《松ぼっくり男爵》(1978年)です。小道の脇の松並木の根元は松の落ち葉で覆われ、その上に松ぼっくりが入ったヘルメットがひとつ置かれているだけの絵ですが、研ぎ澄まされた写実描写は見るものに何かを暗示するようで強く引こまれるのを禁じえません。ヘルメットは第一次世界大戦の時にドイツ軍兵士であつた隣人の持ち物で、道端に置き去りにされた一瞬の情景を、隣人の息づかいと物語を込めてワイエスは描いたそうです。
ワイエスは、生涯に何人かの女性をモデルとした絵の連作があります。中でも、一人の女性が草原の中を這いながら進もうとしている、ニューヨーク近代美術館所蔵の《クリスティーナの世界》は有名ですが、そのクリスティーナが亡くなった後に入れ替わるようにワイエスの前に現れたのがシリ・エリクソンという若い女性で、彼女をモデルとした《そよ風》(1978年)という絵が福島県立美術館にあります。薄暗い何もない部屋の中で一陣のそよ風にブロンドをたなびかせてたたずむシリの若々しさに、新たなものの再生をワイエスは感じ取ったと言われています。
二番目は、ベン・シャーンです。
シャーンは、リトアニア生まれのアメリカの画家です。ユダヤ系リトアニア人で、子供のとき家族とともに迫害を逃れてニューヨークに移住し、貧しいなか石版画工として働きながら絵を勉強しました。《ドレフュス事件》などの冤罪事件をテーマにした作品で、社会派の画家として知られています。
福島県立美術館には、アメリカの水爆実験で被曝した第五福竜丸を取り上げた《ラッキードラゴン》(1960年)があります。描かれている人物は髪が抜け落ち赤黒い肌をした一人の船員で、被曝から半年後に亡くなりました。科学文明の犠牲者ともいえる無残な姿は、痛々しく見る者のこころに伝わります。ご存知のように、福島では2011年3月の東日本大震災と原発事故で深刻な状況になりましたが、放射能の恐怖を伝えるシャーンの絵が奇しくも福島にあったことに何か深い因縁があったのかもしれない、と多くの人が感じました。
シャーンは多くの絵画とともに優れた版画やポスターを残し、グラフィック・アーティストとしても活躍しました。そのうちの一つで私が好きなのが、《一篇の詩の最初の言葉》(1968年)というタイトルがついたリトグラフの小品です。ドイツの詩人リルケの「マルテの手記」から想を得た版画集からの1点で、ペンを握るシンプルな手だけをこれ以上そぎ落とせないようなモノクロの線のみで描かれていますが、シャーンの深いメッセージが込められていると感じています。
三番目は、斎藤清です。
斎藤清は、福島県の会津に生まれた版画家です。幼い頃、一家で北海道に移住し看板店を営むようになりますが、絵画への情熱が断ち切れず上京し本格的に絵を学びました。その後版画制作で活躍し、国際的に評価されるようになりました。《凝視(花)》(1950年)はサンパウロ・ビエンナーレ展で受賞し、日本人芸術家として海外に知られるきっかけとなりました。斎藤清は、洗練された構図と対象から本質を取り出す優れたデザイン感覚に優れていますが、この版画でも女性の横顔と正面向きの瞳に花瓶の花が重ねられ、大胆な構成と装飾性に溢れています。
斎藤清はこうした作風の版画の一方、ふるさと会津の冬景色を描いた「会津の冬シリーズ」があります。80歳で会津柳津に移り住み、この地で90歳まで生き、全部で115点にもおよぶ「会津の冬」を描き上げました。《会津の冬(51)》はこのうちの1点です。一切が雪に埋もれた会津の風景を、簡潔な構図と整理された線で描いています。洗練されたデザイン感覚と故郷会津への愛着が昇華した、余情深い作品だと感じます。福島県立美術館には、斎藤清のコレクションが500点もあります。2017年は生誕110年と没後20年記念の特別展が開催され、彼の代表作を通観すると共に、この会津の冬シリーズ全115点がまとめて展示され、改めて斎藤清が福島県を代表する画家であることを認識しました。
この3人の画家の作品の他にも、福島県立美術館には多くの名画があります。海外作品では、ピサロ《エラニーの菜園》、モネ《ジヴェルニーの草原》など、日本の作品では岸田劉生《静物》、安井曾太郎《ターブルの上》や郷土の画家の関根正二や酒井三良などの絵です。これらの名画が、年数回入れ替えの常設展で展示されています。
美術をテーマとした小説を多く著している作家の原田マハさんは、ある冊子で「いつか行きたいミュージアム」の一つとして福島県立美術館を紹介しています。そして特に、春に訪れることを薦めています。「美術館を囲むように桜が咲き、ロビーからの眺めも印象的。長い冬を終え一斉に花開く桜の美しさは、東北の底力を象徴しているようにも感じます」と話しています。


春には福島市郊外の花見山で桜も楽しめる
桜といえば、福島市には「花見山」という花の名所もあります。写真家の秋山庄太郎が「福島に桃源郷あり」と称え、全国的に知られるようになったところです。春には色とりどりの花が咲き乱れ、筆舌に尽くしがたい美しさです。是非皆様この春に福島にお出かけいただき、福島県立美術館の美術鑑賞と共に、福島の春をお楽しみいただければと思います。
■福島県立美術館
〒960-8003 福島県福島市森合字西養山1
開館時間 9:30~17:00(最終入館は16:30まで)
休館日 月曜日(月曜祝日の場合その翌日)、年末年始
常設展観覧料金 270円(高校生以下は無料)
Tel: 024-531-5511 Fax.024-531-0447
https://art-museum.fcs.ed.jp

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