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美術の知識と美術鑑賞 vol.1

今回は、美術館・学校での美術教育のエキスパート、奥村高明氏の、美術をみることについての考察を紹介します。


学芸員や美術教師、行政官などをやっていて、以前から気になっていることがある。それは鑑賞には「知識がない方が望ましい」という風潮があることだ。数年前は「知識がある方が望ましい」という風潮があった。それがすっかり逆転した感じである。でも、どちらもいかがかと思う。


知識そのものに罪はない。材料や道具のようなもので、絵を描こうとするときに目の前にある画用紙や絵の具と同じだ。ないと絵が描けないことがあるし、なくてもいい場合もある。


個人的な経験から言えば、40~60代の男性は知識を求めたがる。それは彼らの多くが職場という戦場にいることと関連している。彼らにとって時間は有限だ。「この絵は何なのだ!」と効率よく鑑賞を進めたい。彼らに知識や「正解」を伝えると、ほっと安心した顔をする。その笑顔は決して否定されるべきものではない。


一方、小学生は知識がなくても作品を前にたっぷり語れる。自分の思いと友達の思いを交差させながら、その場に独自の解釈をつくりあげていく。それが学芸員の解釈を超えることすらある。そんな子どもたちにとって、知識は邪魔な場合がある。さんざん語らせた後に「正解」を与えるとがっかりするか、とまどうかのどちらかの表情を見せる。


要は「知識と鑑賞者の関係」である。対象は子どもなのか、大人なのか、どのような年代なのか。美術館や学校など、どのような場所で鑑賞するのか。活動は対話によるのか、アートゲームなのか、はたまたワークシートを用いたクイズ形式なのか。知識の性質は鑑賞者、鑑賞する場、鑑賞の活動などに応じて変化する。この観点からすれば、問題は「知識は敵か、味方か」「必要か、必要ないか」ではない。知識の「とらえ方」や「使い方」である。


また、知識は言語だけに限定されるものではない。作品の素材、関連する図版的な資料、作品の描かれた時代背景なども含まれる。これらを効果的に用いることで、鑑賞を「知識の一方的な伝授」や「印象の押しつけ」に終わらせないことができる。例えば、ある高校生が一枚の絵に描かれている内容について調べた。一定の時間をかけて調べていくうちに彼は、その絵を成立させている見方や文化に気付いた。そして、文章としてまとめていくうちに、絵の主張に対する社会的な賛否まで問うことになった。このとき、鑑賞は考える力や情報を読み解く力まで育てているといえるだろう(筑波大学アートライティング・コンテストの事例より)。


作品との出会いで終わるのが鑑賞ではない。出会いからはじまるのが鑑賞なのだ。
知識は使いよう。鑑賞を豊かにする材料や道具だと考えたい。

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奥村高明(おくむら・たかあき)
聖徳大学 児童学部 児童学科教授 芸術学博士(筑波大学)
小中学校教諭、宮崎県立美術館学芸員、文部科学省教科調査官を経て今年4月より現職に着任。
近著は『子どもの絵の見方―子どもの世界を鑑賞するまなざし』(東洋館出版社)など。

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