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美術検定オフィシャルブログ~アートは一日にして成らず

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国際シンポジウム「アーティストの関わりは私たちに何をもたらすのか ――“経験する”現場からの検証」その2

「美術検定」実行委員会事務局です。みなさん、ゴールデンウィークはいかがお過ごしでしたでしょうか。アート三昧をされた方も多いことでしょう。
さて、前回に引き続き、2015年3月15日(日)に国立新美術館で開催されたシンポジウム、「アーティストとの関わりは私たちに何をもたらすのか」のレポート、第2回をお送りいたします。


事例発表③
ヨコハマトリエンナーレ2014 教育プログラム
「中高生のためのヨコトリ教室」での発見


続いて日本の中高生にスポットをあてたプログラム事例の報告は、横浜美術館が取り組んだものであった。2014年に開催された「ヨコハマトリエンナーレ2014」では、横浜市内の全中学生へ配布した鑑賞ポケットガイドの制作、横浜市内7校への出前授業など、中高生をターゲットにした複数のプログラムが組まれている。その中から、中高生対象の長期プログラム「中高生のためのヨコトリ教室」が報告された。
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発表者の横浜美術館
教育プロジェクトチーム学芸員
端山聡子さん
(画像はクリックで拡大)

展覧会は8月からだったが、「中高生のためのヨコトリ教室」は5月からスタートしている。これは、夏休み中の8月に行われる小学4〜6年生を対象とした「ヨコトリ号こども探検隊※」のプログラムを中高生たちが計画、実施、さらには活動記録集も編集するプロジェクトで、準備編・航海編・記録編として全13回、延べ16日間にわたって行われた。参加したのは中学1年生から高校3年生までの23名、初対面のティーンエイジャーたちである。

毎回、「横浜トリエンナーレってなんだろう?」「ワークショップ:つくることを通して発見する美術」「ヨコトリ号こども探検隊 計画・準備」といったテーマを設けた講座制をとり、話を聴く、考える、作品をみる、つくる、討論、プレゼンテーションと日替わりでやることが変わる、盛りだくさんの内容となっていた。トリエンナーレのアーティスティック・ディレクターである森村泰昌さんも直接子どもたちと関わりながら進められたという。各講座終了時に、その日印象に残った言葉や自分の感想をヒトコトで書いて活動スペースの壁に貼る、「今日のヒトコト」からは、子どもたちの変化もかいま見られるものとなっていた。

注※ヨコトリ号こども探検隊=中高生が考案した、ヨコハマトリエンナーレ2014を体験する小学生のためのプログラム。中高生と小学生が10人程度のグループでヨコトリを鑑賞し、ワークショップを体験した。

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中高生たちが執筆、デザインディレクションを担当した
記録集『船長の航海日誌:世界の中心には発見の海がある』より。
各ページの欄外や裏表紙の手書き文字は、
中高生たちが毎回書いた「今日のヒトコト」から
(画像はクリックで拡大)







横浜トリエンナーレでも初めてとなった中高生対象の長期プログラムは、森村さんから「子どもたちにヨコハマトリエンナーレに出会ってほしい。それもフルコースの体験をしてほしい。大人が介入しない子どもたちだけの世界を成立させたい」、という提案があったことがきっかけであったという。それを実現すべく横浜美術館の教育プロジェクトチームが具体的な内容を考え、細かな調整に奔走し、活動が始まればワークショップの準備と子どもたちの「見守り」に徹したそうである。

発表者で教育プロジェクトチームのリーダーを務めた端山聡子さんは言う。「このプロジェクトは前例がない、ハードルが高過ぎる、と却下されてもおかしくないほどのプランでした。それがアーティスティック・ディレクターの森村さんが提案してくださったことで、やってみようという機運を得ました。森村さんの子どもたちへの真摯な取り組み姿勢もまた、参加する子どもたちや職員に大きな影響を与えたと思います。今回の森村さんは純粋にアーティストという立場だけではなかったけれども、アーティストは、場や制度を変えたり、再考してみようかと思わせるきっかけを投げかける役割を果たすのではないでしょうか」。

このプロジェクトを通して、参加した中高生たちのコミュニケーションが日々深まり、お互いに協力しあう様子、彼らとサポートした職員との関係の変化、中高生たちと小学生たちの関係の結び方など、長年、美術館教育に携わってきた端山さんでも、多くの発見があったという。「長期プロジェクトだからできること、達成できることがある。いわゆる“教育”という教え手と受け手という関係をベースとしたプログラムではなく、中高生たちの潜在能力を引き出せる“場”を提供できるプログラムを美術館でいかに継続させていくか。また、調査分析が不足している分野でもあり、どのように他館との情報共有化を進めていくかということも課題ではないか」と締めくくった。


事例発表④
「アーティストが高齢者施設へでかける時」


最後の発表は、認定NPO法人藝術開発機構(以下、ARDA)が1998年から100回以上続けている高齢者施設への「アートデリバリー」についての報告である。これは、さまざまなジャンルのアーティストが高齢者施設に出向き、高齢者や施設職員とワークショップを行うという活動だ。この活動は「長い人生の間にいろいろな経験を重ねてきた方々、1人ひとりがもつ本質的なものをアーティストなら引き出せるのではないか」という、同機構代表理事の並河恵美子さんの思いから始まった活動である。現在の活動目的として「介護スタッフの教育と介護する人・される人のQuality of Lifeの実現」を掲げる。

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ARDA代表理事の並河恵美子さん
(画像はクリックで拡大)



発表では、このプロジェクトの基本的な進め方が説明された後、実際の活動の記録映像(ARDAが制作したDVD)が流された。映像では、最初は体が思うように動かないと思われる方が、アーティストの声がけや動きに合わせて、次第に立ち上がり踊り始める様子や、認知症の方がワークショップの進行とともに徐々に言葉を紡いでいく様子などが見られた。


ともすれば閉ざされがちな高齢者施設で「アートデリバリー」の活動をする効果として、以下が挙げられている。
  ●高齢者にとって失われたと思われた能力が引き出される
   (表情、声、身振り、リズム、言葉、集中力など)
  ●高齢者の豊かな記憶、思い出を受け止める場となれる
  ●他の人々とつながりがもてる
  ●自己肯定感がわく

高齢者の能力や思い出が引き出されることは、その方々をケアする介護者にとっても大切なものであり、高齢者との関係に変化をもたらすという。それまで「介護する人・される人」だった関係が、「人と人」という対等な関係性であることが実感できるという。日々のルーティンが繰り返されがちな施設において、アーティストという異分子が介入することによって、参加した人たちは他者とつながることを意識し、自己肯定感を持つことができるようだ。また、介護する人・される人双方の価値観の変化や柔軟性向上に、アーティストが起爆剤のような役割を担っている、と並河さんは報告する。

では、この活動にかかわるアーティストたちにとっての「アートデリバリー」の意味とは何か。アーティストへのインタビューも行ってきた並河さんによると、長く生きてきた人たちと対峙することは、アーティストとして生きる意味や表現する根源性を問われる活動となるそうだ。また、身体的アプローチが、高齢者の中に眠っている経験や思い出にどうつながるのかは実践して初めてわかること、予期せぬ表現が出てくる時間となることから、作品制作とは異なるコミュニケーションの場であり、自分を試される場になるという。

高齢者施設への「アートデリバリー」事業は、アーティストの社会的な役割が明確なものであるにもかかわらず、その性格ゆえに他の社会福祉事業と混同されやすく、アーティストが場に介入する意義を社会に伝えるのが難しいという。また、高齢者施設は、プライバシーや人権保護の観点から考えても、入所者の家族以外に入所者の活動がオープンになるのは望ましくない、非常にセンシティブな施設だ。先に紹介したDVDを例にとっても、制作にあたり、施設の理解と協力、入所者一人ひとりの家族からの承諾を得て初めて制作を始められる。常にこのような広報的な難しさが伴うという。これらの理由から、事業の継続や資金的な援助を得るにも困難がつきまとうそうだ。また、成果を数字で示せないプロジェクトでもあり、ARDAでは報告書やDVDを通して社会的な認知度をあげようと努めているが、介護保険制度の導入や社会制度の変化によって認知度が高まらないことも課題だという。


パネルディスカッション
「作家の持つ批判性と創造力をどのように社会に役立たせるか」


プログラムの締めくくりは、発表者たちによるパネルディスカッションであった。進行は国立新美術館の吉澤さん、登壇者は、マクソンさん(ホイットニー美術館)、端山さん(横浜美術館)、並河さん(ARDA)の3名である。
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■アーティストの力をどう社会に役立たせるか?
まずは、吉澤さんからディスカッションのテーマ「作家の持つ批評性と創造力をどのように社会に役立たせるか」が発表され、登壇者にそれぞれ考えが質問された。マクソンさんは、ホイットニー美術館のプログラムを経験した子どもたちから、職業選択にまでプログラムが影響を及ぼした事例を挙げ、「アメリカはアーティストから何かを享受しやすい状況なのかもしれない。子どもたちはプログラムをきっかけに職業を決めた子どももいる。そういう子どもは、少しでもコミュニティに何かを返したいと考えて職業を決めたようだ。また、10代の子どもは社会から注目してもらう必要がある年代。予算や環境にもよるが、プログラムの期間の長さは重要で、複数年にわたるプログラムがアーティストの役割も明確にするのではないか」と応えた。端山さんは「ヨコトリの場合は、中高生たちが小学生のツアーをすると自覚した瞬間から姿勢に変化が見られた。小学生との出会いで刺激を受け、喜びを知り言葉を多く語るようになった。こういう機会のきっかけになれるのがアーティストではないか」と述べた。続いて、アーティストとの協働プロジェクトを持続する難しさについても意見が挙がる。

■社会制度の中で、どうアーティストを活かすのか?
「この社会制度の中でどうアーティストを活かしていくのか?」という吉澤さんの問いに対し、マクソンさんからは「アーティストは制度や社会を、社会の一員でありながら批判的にみることができる存在だからこそ、社会問題を解決する一助になるのではないか。中には暴力的あるいはポルノ的な要素をもった作品を発表しているアーティストもいるけれど、生徒とアーティストとの興味のマッチングを美術館がすることによって、その点はクリアできると考えている」という意見が述べられた。端山さんも「アーティストは、見たことがないとかやったことがないというハードルの高い方を選ぶ。だからこそ、私たちもこういうことができるかも、と枠組みから出て考えてみようとする。そこがアーティストを活かせるところで、いかに制度の中で実現させるかといのは、職員の仕事だなと思う」と続けた。並河さんは「アーティストの中には社会のさまざまな場での活動を自分の作品に結びつけたいという欲求がある。そこを上手く機能させると、社会を変える力になるのではないか」と述べた。2人の意見を受けたマクソンさんは「アーティストは新しい方法を考えさせる力がある。彼らは語り手(Story Teller)であり物事に違う意味を持っていいと言う批評家(Critic)でもある。彼らと関わることは、アーティストのように、例えばHIVや政治といった社会を巡るさまざまなことを知り、自分のアイデンティティを見つめ直したり、社会との関係を考えるきっかけになる、そのようにとらえている」と話す。

■アーティストとの協働プロジェクトを継続させるために
シンポジウムはこの後、客席からの質疑応答を以って閉会となった。「プログラム参加者の募集方法は?」「プロジェクトの効果検証の方法は?」といった実際的な質問に対して、登壇者たちが自らの試行錯誤から導いた検証方法などを丁寧に説明していたのは印象的だった。国やそれぞれが背負う課題は違えども、アーティストとの協働プロジェクトは継続性とともに、アーティストやアートの役割を社会に認識してもらうためにも「形が残らないアートプロジェクトの効果検証」が重要と考え、実現に努めていること、この場にいる人たちとも一緒に考えようとする態度がひしひしと伝わってきた。

今回のシンポジウムは、アートやアーティストは社会に何ができるのか、そこから私たちは何を得ているのか、あるいは何を社会にもたらそうとプロジェクトを実践するのか、この場に参加した人が各人の立場から、改めて考えるきっかけになったと思う。同時に、美術の普及活動の可能性や、教育プログラムそのものの考え方の変化についても明確にした内容となっていたと受け止めた。


(取材・文/髙橋紀子=「美術検定」実行委員会事務局、染谷ヒロコ=本ブログ編集)

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