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シンポジウム「美術と表現の自由」レポート

こんにちは。「美術検定」実行委員会事務局です。
大暑も過ぎ、続々と各地の梅雨明けが発表されていますね。
さて、今回は、2016年7月24日(日)に東京都美術館で行われた、〈美術評論家連盟2016年度シンポジウム「美術と表現の自由」〉のレポートをお送りします。


brochure美術批評からが組織する国際美術評論家連盟日本支部(以下、美評連と略)は、7月24日、2016年度のシンポジウムとして「美術と表現の自由」を東京都美術館講堂で開催した。定員210名に対し、美術関係者をはじめ300名もの人々が会場を埋めた。
なお、このシンポジウムの内容は文字起こしをされ、後日、美評連のwebサイトにて公開される予定だという。

右上の画像は、シンポジウムのチラシ
チラシ表面にある作品は、2015年に東京都現代美術館で
展示された相田家の《檄》



今年5月に東京地裁で判決が出た「ろくでなし子氏裁判」や2015年に起きた「東京都現代美術館での会田家の作品撤去問題」は、新聞やニュースでも採り上げられた。このほかにも、近年は美術を巡る「表現の自由」が問われる事件は相次いでおり、公にならずとも「自主規制」により発表機会を得られなかった美術作品や発表に際して制約を受けたものもある。「表現の自由」を保障する憲法についても怪しい雲行きとなっている。同連盟は、上記2つの事件についてそれぞれ有志による声明を発表しており、近年の状況を受けて今回のシンポジウムを企画した。

シンポジウムは、前半はパネリスト5名による事例発表、後半はパネルディスカッションという構成で進められた。開会に先立ち、モデレーターを務めた清水敏男氏(美術評論家、学習院女子大学教授)は、「美術は普遍的価値であり、一時的権力とは異なる。権力者には目障りだろう。シンポジウムを通じてますます目障りな存在となり、自由な社会の助力となりたい。表現の自由を自明としてきたが、日本国憲法規定の自由を深く考えてこなかったのではないか。このシンポジウムがそれを考えるきっかけとなることを願う」と述べた。

前半は各パネリストが事例発表と事例を通じた問題点の提起を行っている。本ブログでは、後者に絞って紹介したいと思う。各事例の経過といくつかのアクションについて、関連するURLを付記した。また、各氏の詳細プロフィールは、シンポジウムチラシにもあるため割愛させていただく。


前半 事例発表

事例発表のトップバッターは、林道郎氏(美術史および美術評論、上智大学国際教養学部教授)で、「美術と表現の自由 ろくでなし子事件について」と題して発表を行った。

ここで林氏が挙げた問題は3点である。
まず、表現の自由は日本国憲法第21条で保障されているが、表現の機会を確保し、公権力の介入や侵害を許さないことが重要ということ。ろくでなし子氏が作家として優れているかという点とは別に、公権力介入で有罪無罪が判断されたことが問題であること、公権力は大作家ではなく、大きな反対が起きない周辺的なポジションの人物がターゲットとされ、事例をつくることを説明した。
次に、美術かわいせつかの問題について、これらは排他的二者択一ではないと述べた。1969年に結審した「悪徳の栄え裁判」の事例をひき、芸術性と思想性がわいせつ性を緩和されるという見方を公権力も意識していることを指摘した。また、美術ではないわいせつは取り締まるべきか、見たくない人の権利にも触れている。
3つ目は、公権力が新しいテクノロジー(3Dスキャナーなど)への懸念があるのではないか、ということ。これは、身体部位が簡単にコピーできるため、イメージの販売など悪用が想定できることからの指摘である。

[ろくでなし子事件]関連リンク
●『ハフィントン・ポスト』2016年5月9日配信
●『週刊金曜日』2014年12月3日配信
●美評連
ろくでなし子氏に対する不当逮捕と起訴に対する説明と起訴撤回要求
(会員有志) 2015年1月26日
ろくでなし子氏に対する不当判決への抗議声明
(会員有志) 2015年5月17日



2人目の発表者は、土屋誠一氏(美術評論家、沖縄県立芸術大学美術工芸学部准教授)で、「東京都現代美術館における「規制」の事例」として、2015年の「ここはだれの場所? おとなもこどもも考える」展での会田家作品の撤去問題と、2016年の「MOTアニュアル2016 キセイノセイキ」展での小泉明朗作品の展示拒否および複数作家への作品改変要請がされたことを採り上げた。前者は作家本人がいち早くwebサイトで何が起きたのかを伝えている。後者は、近隣にあるギャラリーで展覧会と作家によるトークが設けられ、何が起きていたのか明らかにされた。事例となった2展覧会は公立美術館の企画展だが、図録(カタログ)は発行されていない。

ここで問題とされたのは、責任主体としての美術館の機能不全についてであろう。前者の展覧会では同館から公式な説明がされず、同館の行為の責任の所在が見えない。後者の展覧会では企画そのものがアーティスト・ギルドという団体との共同であり、準備期間から会期終了に至るまでに必要とされた主体的判断を停止する組織形成をしていることに言及したものだった。
さらに、土屋氏も属する美評連の役割と責任も問うている。これらの問題は美術館のみならず美評連の問題としてとらえ、日本の美術全体に対して責任を負う1つの方法として、提言の必要性を指摘した。

[会田家の作品撤去問題]関連リンク
●東京都現代美術館 同展覧会情報
●会田誠「東京都現代美術館の「子供展」における会田家の作品撤去問題について」2015年7月25日
●『ハフィントン・ポスト』2015年7月25日配信
●美術関係者有志「東京都現代美術館「おとなもこどもも考える ここはだれの場所?」展 会田家作品改変・撤去要求に対する抗議文」2015年7月28日
●『朝日新聞デジタル』 2015年7月31日配信
●「会田誠・会田家の作品撤去・改変騒動から考える、美術館と子どもの問題
 『CINRA.NET』2015年8月5日
●美評連「東京都現代美術館における会田家の作品撤去・改変要請問題に関する質問状
 2016年5月28日


[MOTアニュアル 2016キセイノセイキ展]関連リンク
●東京都現代美術館 同展覧会情報
●『朝日新聞デジタル』2016年6月7日配信
●沢山遼「キセイは規制である。沢山遼が評する「キセイノセイキ」展
『bitecho』(『美術手帖』2016年5月号より転載)
●福住廉「キセキノセイイ―「MOTアニュアル2016 キセイノセイキ」展レビュー」『アートスケープ』2016年4月15日号
●無人島プロダクション 小泉明朗展「空気」プレスリリース
●Mario A「伝説の「空気」展となる、小泉明朗@無人島プロダクション
『ART iT』2016年4月30日
●椹木野衣「椹木野衣が見た小泉明朗の個展「空気」
『bitecho』(『美術手帖』2016年7月号より転載)



3人目のパネリストは、中村文子氏(愛知県美術館学芸員)である。同氏は2014年開催の「これからの写真」展(会期8月1日〜9月28日)の担当学芸員である。同展会期中に展示された鷹野隆大作品数展数点について、警察から撤去指導が入り、展示変更をせざるを得なくなった。中村氏はこの経緯を、「2014年に起きた鷹野隆大作品の展示変更について」として発表した。この顛末については、『愛知県美術館研究紀要21号』(2014年度)に同氏が論文として掲載したことも伝えられた。

中村氏がここで提起したのは、表現の自由と規制に予め決まった概念があるというよりは、それぞれのケースに応じて関係者全員が考え、その時々の結論を出すものではないか、という内容であった。同氏が採り上げたケースは、鷹野作品の展示に至るまでも慎重なリサーチと協議を重ね、見る側の意思も損なわない配慮をした展示がされていた。そのうえで警察から指導が入った際、作家へすぐに相談し、美術館の管理職が作家と作品を守る立場を貫き、作家の意思で撤去ではなく展示変更という形をとった事例である。

[鷹野隆大作品の展示変更について]関連リンク
●愛知県美術館 同展覧会情報
●ユミコ・チバ・アソシエイツ「愛知県美術館における鷹野隆大の作品展示について
●「愛知県美術館「わいせつ写真に布」の波紋」『THE PAGE』2014年8月22日配信
●「撤去しなければ検挙するといわれ、やむなく展示変更となった愛知県美術館展示について写真家・鷹野隆大さんに聞く」『web D!CE』2014年8月17日配信


4人目は、ジェンダー視点の事例発表を請われて登壇した小勝禮子氏(近現代美術史、ジェンダー論、美術評論、元栃木県立美術館学芸課長)。「美術と表現の自由―ジェンダーの視点から」というテーマで、美術界で1990年代後半に起きた「ジェンダー論争」、2000年代のジェンダーフリー・バッシング、アジアのジェンダーを巡る展覧会、そして現在の日本におけるジェンダーを巡る状況を紹介した。

ここで小勝氏が改めて指摘したのは、ジェンダーフリーの反対者たちと憲法9条改訂を進める人々が同じ組織のメンバーであること、日本社会に無意識的に蔓延するミソジニー(男性の女性嫌悪、女性の女性嫌悪)だった。また、ジェンダーについて社会的理解は進んでいないにも関わらず、言葉そのものが消費され、何を示すものか想像力がなくなっていることも批判した。

[ジェンダー]関連リンク(リンク先に参考文献あり)
ジェンダー論争『アートスケープ(現代美術用語事典ver.2.0)』
●美術批評/展覧会批評誌『LR』03号目次
●国立国際美術館 開館30周年記念シンポジウム記録集『未完の過去―この30年の美術』(2008年)より「セッション3 ジェンダー」参照



最後のパネリストは、「大浦信行作《遠近を抱えて》(1982-85)をめぐる30年」という発表をした、光田由里氏(DIC川村記念美術館学芸課長)である。テーマにある作品が、1986年に富山県立近代美術館主催「’86富山の美術」展の招待出品になったことに端を発し、外部からの作品の破棄要請や同館の作品収蔵・売却などをめぐり裁判にももつれ込んだ経緯が説明された。また、同作シリーズは2008〜09年にニューヨークと東京、沖縄を巡回した「アトミックサンシャインの中へ―日本国平和憲法第九条下における戦後美術」展に全出品されたが、沖縄展では出品拒否されたことにも言及した。

光田氏は、検閲問題に歴史的パースペクティブを与えるのが今回の役割として登壇した。複数の事例を通し、美術館がはらむ課題を見つけ、分析し、どうありえるのか、無制限な自由はなくともどうありえるのかグレーゾンを探り、解決策――光田氏は「美術館が潰れない方法」という言葉を使った――を探りたいと冒頭に話していた。

[大浦信行《遠近を抱えて》]関連リンク(リンク先に参考文献あり)
富山県立近代美術館事件『アートスケープ(現代美術用語事典ver.2.0)』



後半 パネルディスカッション

議論を尽くせる時間もない中で、結論が見える議題でもないが、それぞれの事例を受け、ディスカッションが進行した。

美術かわいせつかに関しては、「表現の自由の原理主義的な考えではなく、法の介入はミニマルがよいと考える」「無意識のうちにノーマルとそうでないものに分類されている事項に対して、異議申し立てするのが美術」という意見が出た。また、「美術館の展示作品の選別機能と国家機能や公権力に重なる部分」について、「情念の政治によって動く規制はどうしようもない。東京都現代美術館の選別機能は機能不全を起こしている。美術館や図書館は市場原理に縛られている」という意見が出されたのを機に、日本の美術館館長の専門性や博物館員の倫理問題、美術館の危機的状況と内部構造にまで話が及んだ。さらに、表現行為そのものが内包する暴力性の指摘とそれを展示する美術館の姿勢についても意見が交わされた。

ディスカッションの終盤には、来場していた会田誠氏とろくでなし子氏に意見を求める場面もあった。会田氏は「美術館(で作品を見せること)が難しくても民間のミヅマ(アートギャラリー)では見せられる。美術館はよくなる努力をしてほしいが、諦念もある」と回答。一方、ろくでなし子氏は「カナダとアメリカでは、国家権力と闘うヒーローのように歓迎された。しかし、ここにいては表現ができなくなってしまうと感じた。踏みにじられたほうが表現の励みとなる」と答えた。

続くパネリストと会場とのやりとりから、作家と美術館との間で締結される契約についてのトピックが挙がった。これについて意見を求められた小泉明朗氏は、「契約書はあっても、そこで確保できる表現の自由は行政の文書の範囲内。作家は自身の表現については責任を負えても、展示責任には作家個人は介入できない」「法律・条例の重要さをキセキノセイキでは学んだ。その制度を変革する努力はしたい。組織内の人にとっては組織に反発する恐れもあり、そこへのサポートも必要」と述べた。

最後に、美評連会長の峯村敏明氏からの総評、林氏からの「表現の自由より公益が優先するとなればかなり危機的である。今回の話を持ち帰り、美術だけでなく表現の自由について考えを深めてもらいたい」というメッセージで、セッションとシンポジウムは閉会した。


(取材・文=染谷ヒロコ 本ブログ編集)

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